平成19年6月 第二回定例会一般質問
蔵田市長の市政経営方針を問う
 ―東広島市総合計画基本構想について―


地球温暖化対策は本気の取り組みを!
 
東広島市議会議員 宮川誠子
蔵田市長の市政経営方針を問う ―東広島市総合計画基本構想について―
一般質問を行うにあたりまして、一言申し上げたいことがございます。
私は、今、この場に立たせていただいておりますことを、心から感謝いたしております。私が政治の世界を目指し、あの厳しい選挙戦を戦って参りましたのは、まちづくりに対して発言権を持ちたいというただその思いのみでありました。それは、正にこの場に立ち、まちづくりに対する自らのを思いを語り、人々の暮らしを預かるその責任者として、真剣にまちづくりのあり方を発言してまいりたい、議員の皆様方と、そして蔵田市長をはじめとした執行部の皆様方と、この新生東広島市のあり方について、真剣に議論し、「共に育み、人々が輝くまち」を一緒につくって参りたいという思いであります。
私は、選挙のとき、街頭演説で、皆様方にお約束しました。市民の皆様を自分の家族だと思いお世話させていただく、それができるのであれば、この命皆様に捧げても惜しくない、と申しました。その初心を忘れることなく、議員活動に臨んで参りたいと思っております。どうか、よろしくお願い申し上げます。

それでは、一般質問をはじめたいと思います。まず、第四次東広島市総合計画基本構想についてであります。
実は、私は、今年5月1日発行の 広報東広島を目にしたとき、「東広島市は変わった」と感じました。それは、象徴的に言えば、『滞納整理の取り組み』の記事と『地域共生のまちづくり』の記事です。私は、このふたつの記事から「義務を果たさずに権利を主張することは許さない」という姿勢の明確化と「共に支えあう社会の構築」を目指す姿勢を感じ取りました。新生東広島市のリーダーとなられた蔵田市長の市制経営の方向性が現れたものであれば、私は、その方向性を評価し、共感するものであります。

そして、東広島市総合計画基本構想を一読した感想も似たものがあります。この構想を見ますと、「第1章 東広島市の将来像」の「第1節 まちづくりの理念」として、「人と人のつながり、地域での支えあい」など「「人」を起点とした結びつき」を第一義として据えています。そして、「第5節 将来都市像を実現するために」では、市民の役割として、市民自らが、「まちづくりの主役であるという自覚」を持ち、その自覚の上で「自らの意思と責任のもとに行動する」市民像を掲げています。そして同時に、行政の姿勢として、「自覚を持った市民のパートナー」として、行政運営体ではなく、「行政経営体への変革を目指す」としています。これ以外にも、この構想の中には、似た言葉が何度となく繰り返し出てまいります。

つまり、この基本構想は、まちづくりの理念を人と人が支え合うことだとし、まちづくりの主役は主権者である市民だとして、積極的な市民参加による住民自治の徹底を目指すことと、地方分権時代の自治体の姿として、自己決定・自己責任による経営体としての行政を目指すという精神で貫かれていると捉えております。
この私の捉え方でよろしいかどうかは、答弁の中でお答えいただきたいと思いますが、もしそうであるのであれば、私は、このまちづくりの方向性に共鳴し、共感するものであります。まさにそれこそが、冒頭申し上げた、私がこの場で語りたいと思う、私の目指すまちづくりそのものであるからです。

私は、「まちづくり」とは「幸せ」づくりだと思っています。何故人は日々生活し、働き、社会を形成し、道路をつくり、ビルを建てるのか。それは全て、「幸せ」を目指しているからだと思います。そして、人の幸せとは何であるか。それは、自分の大切に思う人が嬉しそうに笑っている姿を見ることができることなのではないでしょうか。人は大切な人に支えられてはじめて人になることができます。どんなに立派な都市を形成しても、人がいなければ「まち」とは言いません。人と人のつながりこそが、「まち」なのだと思っています。

そして、行政は、その人々の暮らしをデザインし、提供する暮らしの経営センターだと思っています。人々にどんな暮らしを提供するかは、まちづくりの経営者の経営手腕によります。まちづくりの経営者とは我々政治家のことであり、この東広島市においては、蔵田市長及び私を含む32人の議員に他なりません。

また、公務員はまちづくりのコーディネーターだと思っています。行政マンに最も必要な能力は、人の話を「聞く」能力だと思っています。まちづくりの答えは、地域の実態にあります。地域の実態を正確に把握することができれば、何が必要かは自ずと答えがでます。であればこそ、行政マンには、地域に溶け込み、市民の声を聞き、地域実態を把握することが求められています。

政治家と行政マンが、それぞれの役割を自覚し、行政マンが収集し、分析した情報をもとに、政治家が自らの責任において、判断し、決断し、方向性を指し示す。この基本的な役割の自覚により、人々の暮らしを預かる経営センターとしての円滑で活気のある行政組織を目指したいと思っております。
・市民を信頼し、住民自治の確立を!
このようなまちづくりの基本認識のもとに、東広島市総合計画基本構想について、3点の質問を行います。

まず、まちづくりの主役である市民との協働についてであります。「ともに地域の課題解決に取り組み」、「市民による市民のための活動が様々な場面で展開されて」行くための具体的方策はどのように考えておられるのか伺います。そしてまた、このことを実現するためには何が必要であると考えておられるのか伺います。

私は、このことを実現するために欠かせない条件は、市民の側にではなく、行政の側にこそあると思っています。それは、行政側の、つまり政治家と行政マンの意識変革に他なりません。

これまでの日本の行政は、「お上」と呼ばれてきました。その背景には、住民を「かわいそうな存在」で、自立しておらず、助けを必要とする存在として位置づけてきた経緯があるのではないかと思っています。かつて高度成長の時代から、経済成長に裏付けられた国力を背景に、ばら撒きとも言える行政運営が行われてきました。行政サービスの名の下に、行政は常に「与える側」として、住民は常に「受け取る側」として位置づけられてきました。そして、それに慣らされてしまった住民は、困ったらなんでも行政がやるものだと思い込まされてしまっています。

市民をまちづくりのパートナーと位置づけるためには、行政側のこの「与えてやる」意識を払拭しなければなりません。市民はけしてひ弱な小市民ではありません。昨今、行政が頼りにならないからなのか、NHKのご近所の底力に見られるような地域社会での市民の取り組みが活発化しております。市民を信頼し、まちづくりを市民に任せて考えてもらう、行政は情報だけを提供し口は挟まない、という姿勢が大切なのではないでしょうか。つまり、信頼し任せる勇気を持つということです。任せられないと思うのは、奢りにすぎないということを理解すべきです。このことについて、どのように考えておられるか伺います。

・国への依頼心を捨て、地方分権時代を生き抜く自治体に!
次に、自己決定・自己責任による行政経営体についてであります。「行政運営体から行政経営体への変革を目指す」とありますが、行政運営と行政経営の違いは何であるとお考えなのか伺います。同時に、地方分権の受け皿となるために、一番必要なことは何であるとお考えか伺います。

地方分権の時代が、いよいよ幕を開けようとしています。日本全国どこにいても、同様の行政サービスを「親方」である国が保障してくれるという時代ではなくなろうとしています。しかし、考えてみれば、地域にはそれぞれ特性があり、全国画一のサービスなどというものは、はじめから幻想にしか過ぎなかったのではないかとも思っています。そして、これから先は、益々、どの自治体に住むかによって、どのような暮らしになるのか、その差異が明確になってくるのだと思っております。それは、地域の特性・個性が益々顕著に現れる時代になってくると言えるのかも知れません。

その地方分権の時代に対応できる、自立した経営体としての自治体になるために不可欠な要素は、「依頼心を捨てる」ことだと思っております。自立とは、自分の足で立ち、自分の頭で考えるということです。何かあったら県や国が助けてくれるという意識は、もう捨てなければなりません。国・県とも互角に論争ができる知識と智惠を備えた政策集団に脱皮することなくして、地方分権の時代を生き抜き、東広島市民の暮らしに責任を持つ経営体とはなれないのではないでしょうか。どのようにお考えか伺います。

余談になりますが、地方分権の時代に即応するためには、高度な専門性を備えた組織でなければならないとの思いで、私は、安芸津町議会議員のときに、この合併に賛成しました。そして今、その選択は間違いではなかったと思っております。この間、何人かの職員と話をさせていただく中で、東広島市の職員は優秀だとの感想を持っております。これならやれるとの思いを強くしております。共に研鑽し、まちづくりに邁進したいものだと思います。
・成熟した都市への移行に不可欠なものは『文化』である
項目へ 3点目として、成熟した都市への移行という点についてであります。「社会インフラを中心とした都市づくり」から「成熟した都市への移行が必要」との記述があります。この状況認識には共感するものです。そこで、成熟した都市に移行するために必要なものは何であるとお考えか伺います。

私は、それは正に「文化」だと思っております。実は、この構想を拝見して真っ先に感じたことは、「文化がない」ということでした。画竜点睛と申します。社会インフラの整備は、いわば竜の絵ではないでしょうか。そしてその絵に魂を吹き込むために目をいれる、それこそが「文化」だと思っております。

日本人の魂は、その卓越した文化の中にこそあります。少し話が反れますが、今、小学生に英語を教えると言っておりますが、英語が話せるようになることが国際交流だと思っているとしたら大間違いだと思っています。国際交流とは、国の成り立ち・文化・精神風土の違う国民同士が互いの違いを認め合い、交わることに他なりません。いくら英語が話せたとしても、自らの国の精神風土・文化を持たない人間に、海外に行って交流することなどできないのです。英語を教えるなとは申しませんが、それより以前に、日本の伝統文化・精神風土を身につけることのほうが重要なのではないかと思えてなりません。

また、東広島市に足らないのは文化だという思いがしております。本物の文化人が集まってくるような、本物の文化に市民が触れることのできるような、そんなまちになって欲しいものだと思っております。そういった意味での文化の重要性について、どのようにお考えか伺います。

最後に、魅力的なまちとは、突出したなにかを持つまちだと思っております。全てが平均点のまちは、何の特徴もないまちとしか言えません。その意味で、掲げておられる「選択と集中」は、正に重要な手段だと思います。まちづくりにおいて、何を優先課題とするかは、見るものの立場によって変わってきます。船頭多くして船山に登ると申します。蔵田市長におかれましては、強力なリーダーシップを発揮していただき、「共に育み、人が輝くまち」の実現に邁進していただきますようお願い申し上げて、東広島市総合計画基本構想についての質問を終えたいと思います。
地球温暖化対策は本気の取り組みを!
次に、地球温暖化対策についての質問を行います。

私は、学がありませんから、地球が誕生して何億年何十億年経ったのか知りません。また、生命が誕生して何億年経ったのかもわかりません。ただ、地球は、宇宙から見れば、水を湛えた青く美しい星だということは知っています。そして、何より、この母なる地球の環境を変えてしまったのは、人類のしかも最近のたった100年だということは理解しています。わずか100年も生きられない人間にとって、永遠とも思える時間を自然と共に生きてきた生命の歴史を、そのわずか1世代の、地球の歴史から見れば一瞬にも満たない短期間で、われわれ人類は地球を壊そうとしています。偉そうなことは言えません。私自身も、現代の便利さを享受しているひとりであります。

私事になりますが、最近、父の言っていた言葉をよく思い出します。「昔の人は、子や孫子の世代まで考えて家を建てていた。今の人間は、自分の世代のことしか考えていない。」と。また、安芸津町時代の先輩議員に―その人は農業に生き、森林を愛している人ですが―「山はええぞ。木を育てろ。」と勧められたことがあります。木は10年やそこいらでは育ちません。先祖から受け継ぎ、子々孫々に受け渡すという長い時間の経過に思いをはせることのできる人にしか、山は愛せないと思っております。
・ゴミは分別すれば資源である
そんなことを思いながら、地球温暖化対策について3点の質問を行います。まず、ゴミは分別すれば資源であるということについてであります。現在、ある程度の分別収集は行っていることは承知しております。しかし、そのほとんどは、燃やすか埋め立てるかでしかありません。燃やせば、石油などの生物資源を消費しつつ温室効果ガスとしての二酸化炭素を排出し、埋め立てれば、これもまた地球の環境に影響を及ぼします。

地球は、循環することによって成り立っています。生ゴミは土に返すことによって堆肥になります。燃えない「ゴミ」と言われる様々なものも、リサイクルすれば資源であります。そのために必要不可欠なことは、分別を細分化するということでしかありません。広く市民の理解を促し、ゴミの分別を細分化することにより、地球環境に少しでも貢献する努力をするべきと考えます。地球があるのが当たり前という現代人の奢りは、もう捨てなければ、本当に取り返しがつかなくなると、地球は警告しているのではないでしょうか。ゴミの資源化に対する施策を伺います。
・森林の重要性を認識すべき
2点目は、地球温暖化対策においての森林の重要性についてであります。現在、温暖化対策については、様々な報道を通して伝えられています。しかし、そのほとんどは、「エネルギーを使うのを少し控えましょう」といった方向でしか伝えられていません。

言うまでもないことですが、二酸化炭素は植物が吸収して酸素に換えてくれます。その自然の摂理に思いをはせることなく、東南アジアの森林を伐採させたのは、日本の商社ではなかったのかと思っています。私たち日本人が享受している豊かさ−それは、建設資材であったり、割り箸であったり、紙であったり、ということではないでしょうか。自らの豊かさを追求するあまりに、森林を伐採してしまったという反省の報道はないのか、と思っています。

そこでお尋ねします。温暖化対策という意味だけではありませんが、様々な意味において森林は地球環境の重要な意味を持つものと思っております。森林保護についての本市の考え方をお伺いします。同時に、森林を守ってきたのは農業であります。農業に対しての本市の捉え方について併せて伺います。
森林あるいは農業については、大いに関心を持っているところではありますが、本日は時間がありませんので、具体的なことについては次の機会に回したいと思います。
・「やったつもり」でなく「本気でやる」が大事
3点目でありますが、地球温暖化対策の具体的施策についてであります。市が配布されたパンフレットを拝見いたしました。この議場もクールビズということであります。しかし、パンフレットを配り、服装を軽装にするということで、「やったつもり」になっているのではないかということを懸念いたしております。
先日、テレビを見ておりましたら、アイスランドの取り組みを紹介しておりました。アイスランドは人口30万人。エネルギーの7割は地熱で、あとの3割が石油などの生物資源だということです。今以上の対策は必要ないと言われたにもかかわらず、3割の生物資源に頼っているエネルギーをゼロにする取り組みを政府が行っていました。開発からてがけ、1台1億円かかるという、水素を燃料とするバスを走らせるなど、限りなく環境破壊の元は出さない取り組みが紹介されておりました。その取り組みに敬意を感じつつ見ておりました。
言いたいことは、「やったつもり」ではなく、できるかどうかなど気にせず「本気でやる」という姿勢があるかないかだということです。どのようにお考えか伺います。
新市建設計画は、全市的視野で見直しが必要
次に、新市建設計画について質問を行います。

申すまでもなく、新市建設計画は合併協議の中で策定されたものであります。合併から2年余りが経過いたしましたが、この計画を検証し直す必要があるのではないかと思っております

何故なら、合併以前に描いたまちづくりの全体像と、合併後に見えてくるまちづくりの全体像は、自ずと違うものではないかと思うからです。合併以前においては、各市・町において、合併後の全体が見えていたかと問えば、それは否ではないのでしょうか。例えてみれば、積み木の大小違ったブロックをくっつけただけといったような全体という捉え方しかできなかったように思います。

かく言う私自身も、安芸津町議会議員として、安芸津のことだけ考えていたように思います。しかし、合併して2年が経過し、東広島市の議員としてこの場に立たせていただいている今、違う姿が見えています。それは、誤解を恐れずに言えば、1足す1は2ではない、3にも4にもなる。下手をすれば1にしかならないということです。

つまり、市中心部と市周辺部には、自ずとそれぞれの存在のあり方がある、ということです。例えば、市中心部には高度な経済活動を担っていただき、市全体の活性の原動力となっていただく。市周辺部は、中心部にない環境と心の潤いを与える役割として、観光や自然を活かした経済活動で存続していく。言ってみれば、互いの役割を分担し、相互に有機的につながりあうことで、東広島市全体が共に活性化していく、そういった姿を思い描くことができるのではないでしょうか。

そういった市全体を見る視点で、新市建設計画を見直し、真に重要度の高い事業の検証を行い、また、新たに必要性が見えてきた事業を付け加えるなどの作業が必要ではないのかと思っております。

そして、その際に重要な視点は、財源だと思っております。合併前、地方交付税の優遇措置や合併特例債の元利償還に対しての交付税措置など、国は甘いことを言って合併を推進しておりました。しかし、現在に至って、国の言うことなど信用できないと思っております。たぶん、交付税措置は徐々に減額されていくことでしょう。そうであるなら、国を頼っての過度の借金はなるべく控えるべきであると考えます。将来の東広島市の健全な経営を見通した、しっかりした視点で新市建設計画の見直しを行うべきと考えますが、いかがお考えか伺います。
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