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自民党のほころびが
 見えてきた

・その位にあらざれば、
 その政を謀らず

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2008年1月23日(水) Vol.10
医療のあり方
また、救急搬送をたらい回しされて、受け入れられず、亡くなったらしい。
これでは、一分一秒を争って、切磋琢磨している消防業務は、何のためだ、との思いが強くなる。

実態を聞いてみると、
高度救急医療に対応できる1次医療機関だけに、救急が集中し、
そこまでの施設的にも、人員的にも、体制の整っていない2次・3次の医療機関が、受け入れを拒否する傾向にあるという。
その理由は、専門医がいないなどの状況で受け入れたら、医療過誤などで訴えられるリスクが高いからだとのこと。

どうも、こんなことになってしまった原因は、医療側だけの問題ではなく、
医療を受ける側にも、大きな原因があるようである。

今朝、テレビを見ていて泣いてしまった。感動の涙である。
東京で、NPO法人の運営する『井戸端元気』という名前の、一人暮らしのお年寄りなどが集まってくるサロン。
5年間利用しているあるお年寄りが、倒れた。
遠距離に住む娘に、医者が告げたのは、余命わずかという事実。
そのとき、そのおばあさんが選んだ最後の居場所は、「元気さんのところ」であった。
そして、『元気』のスタッフは、死を間近にしているそのおばあさんを受け入れる。

死を目の前に自分の居場所として、娘でも、病院でもなく、他人である人たちを選んだおばあさん。
そして、そのおばあさんに出会った縁を大切に、そのおばあさんの気持ちを受け入れようとする人たち。
すごいと思った。
そして、嬉しかった。

今、終末医療のあり方が問われている。

2008年1月22日(火) くもり Vol.9
その位にあらざれば、その政を謀らず
これは、論語の一説です。
日本には、分をわきまえるという言葉があります。
NHKの新しく始まった大河ドラマ『篤姫』で、主人公の姫が、人様を傷つけてしまったと後悔しているとき、
その母親が、「その方は弱い方ですか」と聞き、強い方であると確認したあとで、
「そうであれば、傷つけてしまったと思うのは、あなたの驕りです。」と言う場面があった。

日本人は、親切と驕りを履き違えている人が多いように思える。
自分の責任範疇でもないことで、人様のことに口出ししたがる人がよくいる。
それが、「お節介」と理解してやっている人はいいのだが、
自分は優しいんだと思い込んでいる人にあっては、お手上げである。

いい人になりたい人が多いんだなぁと、思ってしまう。
そもそも、傷つけてしまったと思うのは、
自分がいい人になれなかったかもしれないということで、自分が傷ついているだけに過ぎない。

そんなことで悩むほどの精神的に弱い人間が、
しっかり地に足をつけて生きている人間の責任範疇を肩代わりしようなどということは、
分をわきまえない、失礼極まりない人間の所作としか言えないのではなかろうか。

2008年1月21日(月) くもりVol.8
自民党のほころびが見えてきた
衆議院での代表質問をテレビで中継していました。
伊吹自民党幹事長の代表質問に、幻滅に近いものを感じてしまいました。
かつて文部大臣だったころの伊吹氏に、少なからず好感を抱いていたものとして、残念に思います。

雑誌の記事をネタにして、口元に笑みを浮かべながら、政敵民主党を口汚く罵る姿は、
かつての政権与党としての余裕や重みのかけらも窺えるものではありません。
それは、まるで、かつての野党の、与党自民党を罵倒する姿によく似ています。

自民党は、先の参議院選挙において大敗した原因を、今になっても全く理解していないのでしょう。

当時、安倍氏は、総理大臣でありながら、他党代表者の発言を、「国民は、あなたの話より、私の話を聞きたいはずだ」
と制しながら、自分の言いたいことを喋り続けていました。
逆に、小沢代表は、司会者が指名しない限り発言せず、他者の発言の途中に割り込むようなことは、一度もしませんでした。
その姿は、まるで野党と与党が逆転しているように見えたものです。

自民党の参議院での大敗は、自民党政治に対する国民の不信に他なりません。
そして、その『不信』とは、社会の責任者である政治家の、その責任者たる『姿』、
少々のことではびくともしない重みのある『姿』が、まるで見られないことによるものです。
小さなことでガタガタ騒ぐような、幼稚な政治家に、この日本の政治を任せることの不安によるものなのではないでしょうか。

それに比べ、民主党鳩山幹事長、同じく民主党古川議員の代表質問は、
政権を担うべく、国民の暮らしに責任を持つ政治を行っていくのだという気迫に満ちたものであり、好感が持てるものでした。


民主党が政策を打ち出しても、財源の論拠がないと、自民党は罵っていますが、
とんでもないと思っています。
民主党が主張しているように、地方分権を徹底的に行えば、
国が国民の暮らしに直接関わることで、口出しすることはなにもなくなります。
国の仕事は、外交・防衛・最低保障などに限定され、
それはつまり、あの巨大な官僚機構は不必要になることを意味しています。
天下りも、政・官・業の癒着も、官僚政治も、全て消滅します。

結果的に、人件費だけでなく、膨大な経費が削減されるのです。

首になりたくない、利権を手放したくない官僚の、言いなりにしかなれない自民党政権の終焉こそが、
かつて諸外国から尊敬された、日本という国の誇りを取り戻し、
この国をまともな国に近づける、第一歩であると思えます。

2008年1月20日(日) Vol.7
味方
昨日、NHKの番組、フルスイングを見ていて思ったこと。
どんなことがあっても、俺は、お前の味方だ、いつでも応援している、と言ってくれる人がいる人は幸せだ。
と言うより、それこそが、人の幸せなのだと思える。
価値観が入り乱れ、混沌としている今の社会、そう言って欲しい人が多すぎて、
人にそう言える人が、あまりに少なくなっているのではないか。

人は大切な人に支えられて、はじめて人になることができます。
これは、市議会議員になってはじめての一般質問で、私が言った言葉だ。
その支えとは、きっと、物質的な支えではなく、
精神的な支え、いつでもこの人は自分の味方だと信じられることなのだと思う。

正しくても正しくなくても、間違っていても間違ってなくても、味方であるということ。
そのことが、人の心の安定に、一番大事なんだと思う。

そう言われることを求めるのはもう卒業して、
そう言える人間にならなければ。

2008年1月14日(月) 晴れ Vol.6
写経
思い立って、写経をやってみた。
墨を磨り、筆を持つのは、小学生のとき以来である。
中々文字にならない・・・
格闘し、2時間、やっと般若心経を一巻、一応最後まで書いてみた。
悪戦苦闘したが、筆を持つことは楽しいと、はじめて思った。

書道とはよく言ったものだ。
つまり、『道』というに相応しいものであると感じた。
心の動きが、全て筆先に伝わり、文字に表れる。
萎縮すると、考えられないようなねじれた線になる。
緊張して力がはいると、真っ直ぐ引けない。
曲がるなと思えば思うほど、曲がる。
気が緩むと、形にならない。

抜きすぎず、力まず、無心になった瞬間に、すごい線が表れる。
邪念を捨て去る精神修養には、書道は最適のものであるのだと、はじめて理解した。
筆は、単に筆記用具ではないということ、日本文化の奥の深さを改めて感じた日でありました。

2008年1月13日(日) くもりVol. 5
役割と覚悟
先日、ラーメンを食べに行って思ったこと。
うまいラーメンを作る人には、覚悟がある。
腹をくくっているというか、どんなことがあっても、どうやってでも生きていくという覚悟。
つまり、今の思いのたけを今に賭けるという覚悟、駄目だったらそのときはそのとき、どーやってでも生きていく。
今を維持するために保身に走るのではなく、思いのたけを今に賭ける。
そういった覚悟のある人が、どんな世界でも、いい味を出しているのではないだろうか。
逆に言えば、そういう覚悟がない人は、どんな世界でも成功はしない、と思える。

真似はできる。しかし、真似は所詮真似でしかない。
口先で、形で、どんなに真似をしても、
心のないものは、いずれ化けの皮がはがれる。

もうひとつ、人が生きるということにおいて、役割ということを思う。
人ひとりの人生なんて、どんなに優れた人であろうと、そんなに大したことはない。
地球の何十億年の時の流れから見れば、一瞬でしかない。
だからこそ、つなぐことに意味があると思えてならない。

つまり、私たちひとりひとりは、バトンリレーのランナーであるということである。
自分が何か目覚しいことをするというより、
着実に、次の世代にバトンをつなぐ、そのために必要なことに命を注ぐ、
そのことの方が、大いに意味があると思えて仕方がない。
自分の役割を自覚するということではないだろうか。

役割を自覚し、覚悟を持って生きる、そうありたいと思っている。

2008年1月12日(土) くもりVol. 4
薬害
薬害C型肝炎訴訟の全面解決に向けた法案が、成立した。
私には、どうしてもわからないことがある。

そもそも、薬というものは万能であろうか。
研究開発し、万全を期したつもりでも、思わぬ弊害が起こることは安易に想像できる。
ましてや、薬とはそもそも、副作用はつきものであると言わねばならない。

今現在、目の前の病気を治すために薬を投与する。
そのことによって、その病気が治癒し、その後の人生がある。
そして、何年か何十年か後に、その薬の副作用で違う病気になったとして、
それでは、最初の病気は治さなくてよかったのであろうか。

副作用のない薬があればそれに越したことはない。
しかし、研究が、技術が、そこまで進んでないとすれば、それを責めることはできるのであろうか。
と思えて仕方がない。
わかっていても使うしかなかった、ということもあるのではないか。

投与の時期に関係なく、一律救済ということである。
副作用があることがわからなかった時期。
副作用があることがわかっていても代わる薬がなかった時期。
代わる薬があって、そのことを隠した時期。
時期によって、責任が変わるのは当然なのではないだろうか・・・

国と製薬会社側の、説明責任については責められるべきである。
責任のあるなしは、冷静に判断されなければならないことだと思えて仕方がない。

そして、一番思うことは、
国が、是として方針を決めたことを、世論の顔色を伺って方針を変えるという今の政権の浅墓さである。
正しいことが何であるか、信念を持っているのであれば、ふらふらしてはならない。
なすべきことは、説明であって、顔色を伺うことではないと思えて仕方がない。

2008年1月5日(土) 晴れ Vol.3
地球からのしっぺ返し
ローマ帝国が滅びた本当の原因は、環境の変化であったらしい。
繁栄を極め、平和と安定を謳歌していたローマは、テーマパークとも言えるような巨大な大衆浴場を持ち、
その燃料として、森林を伐採し尽し、寒冷化をもたらし疲弊していたところを、外圧により滅びたということである。
余りにも、今の社会を象徴していると感じた。

人間は、自然の一部でしかない。
そのことを忘れ、何でも思い通りになると勘違いし、自然を思うままに操ろうとしたとき、
そんな不遜な文化は、地球によって淘汰されるのではないだろうか。
大自然のダイナミズムは、傲慢な人間を許してはくれない。
正に、自分から出たものは自分に還るということか・・・

今日本は、少子高齢化が大問題だと騒いでいる。
本当は、大問題なのは、人間側の勝手な都合であって、
どこまでも右肩上がりで人口が増えることは、環境破壊しかもたらさないのであり、地球が持つわけがない。
増えすぎたら、生存の危機が訪れ、自然に淘汰される。それが自然界の常識なのではないだろうか。

人間は自然の一部でしかなく、自然の恵みで生かされている存在であるということを、
肝に銘じて日々生きていかなければと思っている。

2008年1月1日(火) くもり Vol.2
ほんまもんの時代がやってきた
新年 あけましておめでとうございます
昨年は、選挙に始まり、32名の議員が出揃ったことによって、新生東広島市の体制が整い、
そして、その議会の一員として、新しいステージに立つことのできた、私にとって大いなる転機の年でした。
そしてまた社会的には、一年を象徴する文字として『偽』が選ばれるなど、社会の様々な偽物が表に出た年でもありました。
それは、戦後日本の資本主義経済の発展の中で、経済発展の陰に隠れて横行してきた嘘や誤魔化し、様々な『偽物』が、
すでに許容範囲を超えて、表にださされてしまったということだと感じています。

昨日の紅白歌合戦を見ながら、『本物の時代が到来する』と感じました。
少し前まで、癒しがブームとなり、応援歌が流行っていましたが、
そういうレベルを超えた、時代を超えて通用する、大人の心を揺さぶる本物の歌が多くなったと感じました。
昨年の締めくくりの紅白は、心に残る感動的な紅白歌合戦だったと思います。

そしてそれは、歌の世界だけではなく、
これまで、社会の歪みに眉をひそめながらも、黙って見守ってきた良識ある人々が、
ついにこの間の社会の『偽物』を見抜き、『本物』を望む時代になってきたことを象徴しているのだと感じています。

これまでの日本は、『無理が通れば道理が引っ込む』を地で行くようなものでした。
嘘や誤魔化し、悪いことをしている人間が、表街道を堂々と歩く時代は終わらせなければなりません。
悪いことをする人間は、こそこそと裏街道を歩いていればいいのです。
あらゆる世界で、本物こそが通用する社会、本物が堂々と表街道を歩く社会、そういう時代が来るのだと信じています。
本物と偽物を見分けられる、分別ある大人にならなければなりません。
本物の時代を皆さんと共に築きたいものです。

2007年11月26日(月) 晴れ Vol.1
ブログ開始
やっと、プログを開始する準備ができました。
市議会の報告というよりも、日々、様々な事象に対して感じたことや思い、何を考えているのかなど、
綴っていきたいと思っています。
さて、どんな人たちが見てくださるのであろうか・・・
実は、ホームページ開設の一番の目的は、このブログでした。
同時に多くの人たちとつながることのできるネットの強みを生かして、
現実には出会うことのない人たちだとしても、
今の社会のこと、生きるということ、などなど、
ちょっと立ち止まって考えてもらうことができたら嬉しいと思っています。
よろしくお願いします。